声なき赤子の背中をさすり続けて――2026年、真生乳児院が突きつける「家庭養育優先」の理想と現場の生々しい亀裂
真生 乳児 院の静まり返った廊下に、午前4時を回ると決まってかすかな泣き声が漏れ始める。東京都練馬区の閑静な住宅街。社会福祉法人真生会が運営するこの場所では、まだ首も据わらない乳児から歩き始めの幼児までが、それぞれの重い背景を背負わされて朝を待っている。産後うつによる育児放棄、貧困、予期せぬ妊娠、あるいは身体的虐待の痕跡。運び込まれる赤子の事情はあまりに複雑で、マニュアルの文字など現場では数秒で吹き飛ぶ。当直スタッフの足音だけが、硬いリノリウムの床に乾いた音を立てていた。
夜勤明けの職員が哺乳瓶を煮沸消毒器に並べる手元には、隠しようのない疲労が滲む。国が児童福祉法改正を経て里親委託の数値を強烈に押し進めるなか、ここ真生 乳児 院のベッドは、皮肉にも常に定員ギリギリの稼働を強いられている。官公庁が描く美しいロードマップと、真夜中に体温を失いかけた乳児を抱き上げる現場。その二つの世界の間には、深く冷たい断絶が横たわっている。
「家庭的養護」の看板と、夜勤明けの張り詰めた空気
国は小規模化を求めた。10人前後の集団から、数人規模のユニットケアへ。家庭に近い環境で特定の大人と愛着関係を築く――その理論に異を唱える専門家は誰もいない。だが、現実はそれほど単純ではない。
ユニット化によって必要な職員数は跳ね上がった。交代制勤務のシフト表には、病欠や急な退職を埋めるための赤字がびっしりと書き込まれている。「子どもと向き合う時間が増えたのではない。記録と安全確認に追われ、誰かが泣いてもすぐ抱き上げられない瞬間が増えた」。勤務歴8年の中堅保育士は、乾いた唇を噛みしめながらそう吐露した。夜間の急変への怯え、24時間365日の連続勤務が生み出す神経の摩耗。理想的な理念を掲げれば掲げるほど、最前線の労働環境は限界へと追い詰められている。
こども家庭庁が掲げた「委託率75%」の数字が現場に落とす影
2026年現在、こども家庭庁が旗振り役となって進める就学前児童の里親等委託率75%目標は、地方自治体にとって絶対的なノルマと化した感がある。各児童相談所は委託率のパーセンテージを追うことに躍起だ。
しかし、乳児院の現場からは悲痛な警告が絶えない。乳児院に入所する子どもの中には、胎内での薬物被爆や極度の低体重、あるいは脳や心臓に先天的疾患を抱えるケースが確実に増えている。そうした高度なケアを必要とする乳児を、民間の一般家庭へ預けるハードルは極めて高い。マッチングが急がれた結果、里親家庭側で愛着の形成が崩壊し、不調となって再び施設へ戻されるケースすら散見される。「数字を達成するために子どもを動かしているのではないか」。現場の職員たちが抱くこの不信感は、もはや無視できないレベルに達している。
ミルクの匂いとモニターのアラーム音:医療的ケア児の急増にどう立ち向かうか
かつての乳児院と、いまの乳児院を決定的に分かつもの。それは医療機器のアラーム音だ。
経管栄養のチューブを鼻から通した赤ん坊、たんの吸引が2時間おきに必要な幼児。新生児集中治療室(NICU)を退院したものの、家庭の事情で引き取りが叶わない「医療的ケア児」の受け入れ先として、乳児院の機能は大きく変容した。看護師の配置は必須となり、投薬管理や酸素濃度の監視など、業務は病院の小児病棟に近い厳しさを帯びている。専門職の確保は全国的な争奪戦であり、民間の社会福祉法人が用意できる給与水準では、熾烈な採用競争に太刀打ちできないという構造的欠陥が放置されたままだ。
親を責めない、見捨てない――断絶した家族をつなぎ直す試み
乳児院の役割は、子どもを保護することだけで終わらない。むしろ、真の戦いは「親側の再生支援」にある。
面会室の扉の向こうでは、週に一度、あるいは月に一度の逢瀬が繰り返される。我が子を抱く手がぎこちなく震える母親。育児ノイローゼで感情が麻痺し、赤ん坊の目を見られない父親。職員は監視役ではなく、伴走者としてその場に立つ。「責めるのではなく、ミルクの作り方を一つずつ教え直す。親自身が虐待されて育ち、愛され方を知らない場合がほとんどだから」。家庭復帰を果たせる子どもは全体の半分にも満たない。それでも、細い糸を手繰り寄せるような親子関係の再構築支援が、日々粘り強く続けられている。
地域に溶け出す乳児院へ:一時預かりが防ぐ孤立の防波堤
いま、乳児院の存在意義は「孤立した家庭の最後の砦」から「虐待の防波堤」へとシフトし始めている。
突発的な病気や出産、育児疲れによるショートステイの受け入れ。練馬の住宅地に位置する特性を活かし、周辺地域で追い詰められた母親たちのレスパイト(一時休息)の場として機能する試みが進む。壁に囲まれた閉鎖的な施設から、街に開かれた駆け込み寺へ。事件が起きて警察や児相が動く前に、敷居を低くしてSOSを拾い上げる。この未然防止の機能こそが、行政の盲点を埋める唯一の手段になりつつある。
2026年の分岐点、私たちが「小さな命」に背負わせているもの
「家庭養護が善で、施設養護は悪」という短絡的な二項対立の構想は、現場の実相をまったく捉えていない。24時間の専門的モニタリングと、傷ついた乳児への緻密なアタッチメント形成、そして地域の子育て支援。これらを複合的に担えるセーフティネットとして、乳児院が果たすべき責任はむしろ肥大化している。
問われているのは、現場スタッフの自己犠牲に依存し続ける社会の側の鈍感さだ。安全なベッドで眠り、適切な温度のミルクを飲むこと。その当たり前の権利を、生まれて数日の赤子に保障するために、国はどこまで本気で予算と人を注ぎ込めるのか。泣き止んだ赤子の背中をさする職員の手元を見つめるとき、漂う沈黙の重みから目を背けることは許されない。 (出典: 真生 乳児 院(Yahoo!ニュース))