AI時代が壊したビジネスマナーの境界線――なぜ2026年の今、「御社・弊社」の使い分けで現場は混乱しているのか
御社 弊社の使い分けという、かつて社会人のイロハと叩き込まれた基本作法が、いまビジネスの最前線で激しい摩擦を引き起こしている。チャットツールによる即時コミュニケーションが定着し、生成AIによるメール自動下書きが日常風景となった2026年。相手への敬意を払うつもりで送ったはずの一文が「慇懃無礼で形式主義すぎる」と敬遠され、逆にフラットさを意識した返信が「最低限のマナーすら欠いている」と指弾される。たった二文字の主語をめぐって、オフィスや商談の現場ではかつてない冷ややかな視線が交錯している。
都内のITベンダーで採用と営業統括を兼任する40代の役員は、日々のチャットや商談ログで交わされる御社 弊社という往復書簡のテンポに、言い知れぬ違和感を覚えていると打ち明ける。「新入社員がAIに推敲させたメッセージを見ると、過剰な謙譲語とフランクな絵文字が同居し、自社と相手企業の位置関係が歪んでしまっている」。効率化と自動化を突き詰めた結果、私たちが長年かけて身体化してきた「内と外」を分ける美徳は、いまや形骸化したノイズになり果ててしまったのか。それとも、言語文化の必然的な脱皮なのだろうか。
チャット文化と生成AIが突き崩した「口語と文語」の壁
教科書的なルールは明快だった。話し言葉では「御社」、書き言葉では「貴社」。そして自らをへりくだる際は「弊社」を用い、公的な文書や対等な主張を行う場では「当社」と書き分ける。新入社員研修で誰もがノートに書き殴ったであろうこの境界線は、しかし、ビジネスコミュニケーションのデジタル化によって完全に消滅した。
SlackやTeams、LINE WORKS上で行われるやり取りは、果たして「会話」なのか、それとも「文書」なのか。誰も正解を持たないまま、チャット画面には「御社」と「貴社」が脈絡なく混在するようになった。さらに2024年から2026年にかけて爆発的に普及したワークスペース統合型AIが、この混乱に拍車をかけた。プロンプトに「丁寧なトーンで」と入力するだけで出力される長文の挨拶文には、過剰なまでに自己を卑下した「弊社」と、神格化されたような「御社」が並ぶ。読まされる側は、その長さにうんざりしながら要点だけを目で追う。言葉が持つはずの体温は、アルゴリズムのフィルターを通すことで急激に冷却されている。
「失礼クリエイター」への反発と、現場を縛るマナーの呪縛
ここ数年、SNSを中心に巻き起こっている「マナー講師バッシング」の根底にあるのも、この過剰な形式主義に対する現場の苛立ちだ。印鑑のお辞儀やメールの謎ルールと同じく、相手の呼び方一つで人格や適性を品定めする風潮に対して、若い世代を中心に「実務の本質から目を背けた無駄なゲーム」という冷めた認識が広がっている。
だが、問題はそう単純ではない。ルールを無視して痛い目を見るのは、往々にして前線のプレイヤーたちだ。「御社」と書くべきチャットで「貴社」を使ったからといって契約が破談になることは稀かもしれない。しかし、「弊社は〜」と語るべき文脈で「当社としては」と言い放つ若手の言葉遣いに、眉をひそめる古参のクライアントは依然として実在する。形式を軽視する姿勢が「リスク管理能力の低さ」と同一視される現実がある以上、現場のビジネスパーソンは形式を軽蔑しながらも、形式に依存せざるを得ないという二重生活を強いられている。
Z世代とベテラン層の断絶――「敬意」の定義はどう変わったのか
世代間の認識ギャップは、もはや修復不可能なレベルまで広がっているように見える。2020年代半ばに入社したデジタルネイティブ層にとって、最大の敬意とは「相手の時間を奪わないこと」だ。用件を箇条書きで簡潔に伝え、数分以内にレスポンスを返す。そのスピード感こそが誠意であり、前置きの挨拶や自己紹介、仰々しい敬称の使い分けはむしろ「悪」ですらある。
対照的に、長年対面取引や紙の稟議書でキャリアを築いてきた50代以上の管理職層にとって、敬語は単なる情報伝達の道具ではない。それは相手に対する忠誠心や配慮、さらには組織の序列を受け入れる覚悟を推し量るための「リトマス試験紙」なのだ。相手を「御社様」などと二重敬語で呼んでしまう若手の粗雑さに、彼らは知識不足以上の不穏さ――組織へのコミットメントの希薄さ――を嗅ぎ取ってしまう。お互いが信じる「正しさ」が真っ向から衝突している。
海外取引とローカライズの盲点:英語圏にはない自他分離の重圧
この摩擦は、外資系企業や多国籍チームが絡むプロジェクトにおいてさらに先鋭化する。英語であれば「We」と「You」、あるいは会社名そのもので完結する関係性が、日本語に翻訳された瞬間に「身内を低め、外部を高める」という複雑な力学に変換されなければならないからだ。
「なぜ同じプロジェクトを動かすパートナーなのに、わざわざ自分たちを低く呼ぶ必要があるのか」。欧米系のクライアントからそう問われ、返答に窮した経験を持つプロジェクトマネージャーは少なくない。対等なパートナーシップを標榜しながら、言語構造そのものが主従関係を想起させるような枠組みを強要する。グローバルスタンダードのフラットな組織観と、日本語に深く刻み込まれたウチ・ソトの文脈。その板挟みによって、現場のバイリンガル社員たちは翻訳のたびに認知的負荷を抱え込んでいる。
過剰敬語か、効率至上主義か:大手企業が打ち出した「内規改定」のリアル
こうした疲弊を重く見て、一部の先進的な大企業では2025年後半からコミュニケーションガイドラインの大胆な刷新が進んでいる。社内外のチャットツール利用において、冒頭の挨拶文を原則禁止とし、自社を指す言葉を「当社」へ一本化。相手方の呼称も「〇〇社」「〇〇様」に統一することで、形式に悩む時間をゼロにする試みだ。
成果は出ている。ある大手通信会社では、社内アンケートで「メールやチャット作成にかかる心理的ストレスが大幅に減った」と回答した社員が7割を超えた。だが、話はそう簡単には終わらない。保守的な官公庁や地方の伝統企業とのやり取りでは、こうした内規は通用しない。「御社」「弊社」の使い分けを放棄したメッセージを送った結果、「横柄だ」と激怒されたケースも報告されている。結局のところ、相手に合わせてコードを切り替えるという、さらなる高度な立ち回りが求められる結果となっている。
2026年を生き抜くための実践的コミュニケーション解体新書
言葉は生き物であり、時代とともにその役割を変える。しかし、どれほど技術が進化し、効率化が叫ばれようとも、人間関係の摩擦をゼロにする魔法のツールは存在しない。いま求められているのは、旧態依然としたルールへの盲従でも、かといって伝統の全否定でもない。文脈を見極める冷徹なリアリズムだ。
相手が何を重視する人間なのか。画面の向こうにいる相手の文化圏を即座に推し量り、必要であれば完璧な「御社・弊社」を使いこなし、スピードが求められる局面では無駄を削ぎ落としたテキストを投げる。敬語とは相手を縛る鎖ではなく、自らの意図を正確に通すための潤滑油にすぎない。ツールの変化に振り回され、AIの出力に依存する現代だからこそ、言葉の端々に立ち現れる「生身の配慮」が、ビジネスの成否を分ける決定打になっている。 (出典: 御社 弊社(Yahoo!ニュース))